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富士山大量遭難事故 (1972年) : ウィキペディア日本語版 | 富士山大量遭難事故 (1972年) 富士山大量遭難事故とは、1972年3月19日夜半から3月20日にかけて低気圧の襲来によって発生した悪天候に見舞われ、富士山御殿場ルートを下山中の登山者が低体温症や雪崩により18人死亡、6人が行方不明となった事故である。八甲田雪中行軍遭難事件など軍隊の訓練を別とした日本の登山史上としては最悪の大惨事となった。 == 経過 ==
=== 3月19日 === 連休を利用し、3月19日には7つのグループと4人の単独行者合わせて55人が入山していた。このうち静岡頂山岳会の9名はヒマラヤ遠征の訓練として雪上訓練を行ったうえ、宝永噴火口の200m下でテントを張り野営を行っていた。 一方、18人で入山した清水勤労者山岳会は冬山の経験に富んだ7人が山頂に向かい、残る11人は五合目付近にテントを構え雪上訓練を行い就寝した。この日は午前中は快晴だったが、静岡頂山岳会が訓練を終えたころから天候が急変、霧が立ち込め強風も吹き始めた。全員が寝袋に入ったころにはみぞれに変わり、テント内や寝袋に水が浸み込む状況となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富士山大量遭難事故 (1972年)」の詳細全文を読む
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